鹿児島地方裁判所 昭和59年(行ウ)3号 判決 1986年7月18日
原告 坂元正道
被告 鹿児島県教育委員会
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
1 被告が昭和五九年九月二七日付で原告に対してした同月三〇日をもつて原告を免職する旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決
二 被告
主文と同旨の判決
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は昭和五九年四月一日(以下、特に年を示さない限り昭和五九年を指す。)、被告によつて、鹿児島県出水郡長島町公立学校教員として採用され、以来鹿児島県出水郡長島町立平尾小学校(以下「平尾小学校」という。)に勤務し、同月六日から五年一組(以下「五の一」という。)の担任となつていた。なお原告は、昭和五四年九月から昭和五九年三月まで東京都の公立学校教員としての地位にあり、約四年余り小学校教員としての経験を積んでいた。
2 被告は、昭和五九年九月二七日、左記の理由により地方公務員法(以下「地公法」という。)二二条一項の規定に基づく条件付採用期間が終了する同月三〇日をもつて原告を免職する旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。
記
(一) 児童に過酷な体罰を加えた。
(二) 教科経営に計画性がなく、出張研修に極めて熱意がない。
(三) 生徒指導、給食指導その他教育活動に非常識な言動が多い。
(四) 協調性に欠け、上司に故なき反抗をするなど独善的言動が多い。
(五) PTA会長に暴行を加えた。
の各事実から教育公務員としての適格性がなく、かつ右(一)ないし(四)の各事実は同時に勤務実績不良と認定でき、結局、条件付採用期間中その職務を良好な成績で遂行しなかつたと認められる。
3 条件付採用期間中の職員といえども、法令所定の事由に該当しない限り免職されないという身分保障を受け、具体的には、本採用職員の場合に準じて地公法二八条一項一ないし四号所定の各事由に該当する場合にはじめて免職処分も許されると解すべきであり、それを逸脱した免職処分は裁量権の濫用として違法なものになるというべきである。特に原告の場合、全くの新規採用ではなく東京都の公立学校から鹿児島県の公立学校に転勤してきたものであるから、本件処分が裁量権の濫用になるか否かの判断も、それが本採用職員の場合に準じて合理性をもつか否かという観点からされるべきである。
4 ところが、本件処分の理由とされる右各事実はいずれも存せず、一部存するかのように見える事実も、真実は、原告の教育公務員としての適格性を否定したりあるいは、勤務実績不良と目すべき事実などでは決してなく、逆に原告が生徒指導及び教育に熱意のある勤務成績も良好な教員であつたことを裏付ける事実と解すべきなのであり、従つて本件処分は明らかに、裁量権を著しく免脱した違法な処分というべきである。
5 よつて、原告は本件処分の取消を求める。
二 請求の原因に対する答弁
1 請求の原因1の事実は認める。
2 同2の事実は認める。
3 同3の主張は争う。
(一) 職員の採用はすべて条件付のものであり、少くとも六か月間良好な成績で職務を遂行したときに、初めて正式採用になるものとされている(地公法二二条一項)。このような条件付採用の制度は、採用試験あるいは選考の結果だけでは職員の能力が完全に実証されないおそれがあるので、更に条件付採用期間中の成績によつて不適格者を排除することができるようにするためのものである。そして条件付採用期間中の職員は、通常の身分保障規定(地公法二七条二項、二八条一項ないし三項、四九条一項及び二項)の適用はなく、人事委員会に不服申立てをすることも認められていない(地公法二九条の二第一項)。
(二) そこで、任命権者は条件付採用期間中の職員を、引き続き任用しておくことが適当でないと認める場合には、いつでも免職することができるし、また同期間中の勤務につき良好な成績で職務を遂行したと認められないときは、正式採用しないこともできるものであるところ、被告は慎重を期し、後者により本件処分を行つたものであるが、いずれを採るにせよ、処分を行うに当つての任命権者の裁量の範囲は次のとおりであると考える。
地公法二九条の二第二項は、条件付採用期間中の職員の分限については、条例で必要事項を定めることができると規定しているが、鹿児島県ではまだ条例を定めていない。しかし、国家公務員法(以下「国公法」という。)は条件付採用期間中の職員の分限につき、同法八一条二項の規定に基づく人事院規則一一―四第九条において「条件付採用期間中の職員は、法七八条四号に掲げる事由に該当する場合又は勤務実績の不良なこと、心身に故障があることその他の事実に基づいてその官職に引き続き任用しておくことが適当でないと認める場合には、何時でも降任させ、又は免職することができる」と規定しているところ、正式採用職員の分限に関し、国公法七八条所定の分限事由と同等の事由を定める地公法のもとにおいても、同じ条件付採用職員につき右人事院規則の規定に準じて分限事由を考えるのが相当であると思料される。
以上のことから、条件付採用期間中の職員の分限については、正式採用職員の場合に比較して、より広い裁量権が任命権者に付与されていると解すべきであり、原告の主張するように「本採用職員の場合に準じて地公法二八条一項一号ないし四号所定の各事由に該当する場合にはじめて免職処分も許される」とするのは相当でない。
また、原告は「特に原告の場合全くの新規採用ではなく東京都の公立学校から鹿児島県の公立学校に転勤したものであるから、免職処分が裁量権の濫用になるか否かの判断も……本採用職員の場合に準じて……されるべきである」旨主張するが、原告は東京都公立学校職員を退職し、他の新規採用職員と同じ資格で鹿児島県長島町公立学校教員に採用されたのであり、条件付採用期間中の職員の分限について、他の新規採用職員と取扱いを異にすべき理由は存しない。
4 同4の主張は争う。
三 抗弁
本件処分の理由は次のとおりである。
1 児童に過酷な体罰を加えたこと。
(一) 原告は、七月九日午前九時五分頃、担任の五の一の教室において、担任児童の諏訪みどり(以下「みどり」という。)に対し、忘れものをしたことを理由に、激しく叱責してその頭部を手拳で数回殴り、また髪を引つぱり、床に座りこんだみどりに「お前のような者は五年一組にはいらない。出ていけ。」と言い、尻附近を運動靴で数回蹴る体罰を加えた。みどりは大声で泣きながら教室を飛び出し一時行方不明となつた。
(二) 校長はかねて原告に対し、みどりがやや知恵おくれの子であることを説明し、その教育には特に留意するよう指導していたのに、原告は留意するどころか教師として考えられないような嗜虐的体罰を加え、かつ、この暴行が他の児童に与える悪影響(恐怖心)を全く顧慮しなかつた。
なお、原告は当日夕方抗議のため来校したみどりの父親に会いながら謝罪することなく、少しも反省の色が見られなかつた。
2 教科経営に計画性がなく、出張研修に極めて熱意がないこと。
(一) 教科経営
(1) 六月八日、原告は家庭科及び音楽科専科の佐土原瑞代教諭(以下「佐土原教諭」という。)に、六校時の家庭科の時間にサツカーをしたいから、六校時を譲つてくれるよう児童を使つてたのんだが、断わられたため、原告は担任の児童らに「家庭科の時間は眠つてもよい。」と放言した。
(2) 六月一四日、原告は、佐土原教諭に三校時の音楽の時間を標準学力テストに使いたいからくれるようたのんだが、笛のテストをするから困ると断わられたため、同教諭に対し、笛のテストは放課後か休み時間にすればよい旨述べた。
(3) 六月一五日、原告は、佐土原教諭に六校時の家庭科の授業と四校時の図工の授業を入れ替えてくれるよう頼み、承諾を得たが、六校時にするべき図工の授業を昼休み時間にし、六校時に、五校時の体育の時間と続けてサツカーを行つた。
(4) 六月二二日、原告の五校時の体育(水泳)が六校時にくい込み、六校時の家庭科の授業は一〇分しかできなかつた。このとき原告は担任児童らに「家庭科もみんなでサボればこわくない。」と放言した。
(5) 七月一六日、三校時の授業(理科)を実施せず、算数を二時間続きで行つた。
(6) 七月一七日、二校時の国語の授業を実施せず、体育(サツカー)を行つた。
(7) 七月一八日、五校時の国語の授業を実施せず、体育(サツカー)をし、六校時の教育相談を実施せず、体育(水泳)を行つた。
(8) なお、六月一一日から始まる週の週報に示された学習計画では、体育は「体操と鉄棒」となつているのに、原告はサツカーを行つている。
以上のとおり、教科経営(各教科は学習指導要領に則り、年間を通じ系統的な学習内容と時間配当がなされている)に計画性がなく、恣意により時間割や学習内容を変更することが多かつた。
(二) 出張研修
(1) 原告は、五月三一日、東出水小学校における出水地区道徳教育研究会に出張研修を命ぜられたが、私用により無断で一時間遅刻した。
(2) 次に、原告は、八月二二日から同月二四日まで阿久根市中央公民館で行われた出水地区視聴覚教育指導者研修会にも出張を命ぜられたが、原告の研修を受ける態度は次のようなものであつた。
八月二三日の講義中に、研修とは関係ない「ライフワークを考える」という本を読み、講義が終りT・P作成の実技演習になつても製作に参加しようとせず、他の書きものをして講師に注意された。更にT・P作成の感想発表の際「自分は将来もT・Pを作成したり、使用したりする気は毛頭ない。」などと受講者にあるまじき発言をし、講師や受講者のひんしゆくをかつた。そして、受講者の間からは「こんな先生が今ごろいるものだろうか。」「こんな先生に受け持たれた子供はどんな子供に育つだろう。」といつた非難の声が聞かれ、原告の不真面目な受講態度を見たある講師は、原告は教師として失格だと評していた。
3 生徒指導、給食指導その他教育活動に非常識な言動が多いこと。
(一) 給食当番は白衣(給食衣)を着けて給食の運搬及び配膳をするように指導されているところ、七月三日、五の一の給食当番が白衣を着けずに給食を受け取りに来たので、給食係の竹下博恵教諭(以下「竹下教諭」という。)が、その児童らに白衣を着けてくるようにと指導した。しかし一旦教室へ帰つた児童らがまた白衣を着けずに来たので、竹下教諭は原告に注意したところ、原告は「白衣を着ることは衛生上無意味だ。白衣を着けないと運搬させないのなら、自分の学級は今日は給食はいらない。」と勝手な反論をし、児童を教室にとじ込めた。その後二回にわたり教頭が給食を食べさせるようにと指導しても、原告は「粗末な、まずい給食は食べさせる必要はない。」と聞き入れず、学級児童数(二四杯)のラーメンを近所の飲食店天竜に注文したが断わられた。
給食は、その後養護教諭が六年生の加勢を求めて運び、大分遅れて食べさせることができたが、給食を食べなかつた原告は、業間体育の時間(一三時三〇分から一三時四〇分まで)に校外の店から自分で出前箱をさげてチヤンポンを運び、職員室で食べていた。
(二) 一学期の終業日である七月二〇日、原告は学級の児童二四名のうち二名に通知表を渡さなかつた。理由は通知表を受けとる時、礼をしなかつたというものであつた。
うち一名の濱嵜蘭子(以下「蘭子」という。)については、二、三人の児童が礼をしたと弁護したが、原告は聞き入れず午後一時三〇分に親に取りに来るよう命じた。蘭子は泣きながら母親にその旨を伝え、母親は蘭子を伴い指示された時間に教室に行き通知表を受け取つたが、その際原告は蘭子の前で母親に対し、後述する七月一八日夜の事件のことを持ち出し、嫌味を言つた。
もう一人の鶴長隆盛(以下「隆盛」という。)は、通知表を受け取るとき礼をしなかつたので、原告から「何か忘れておりやせんか。」と言われ、あわてて礼をしたが、原告は通知表を渡さず、親といつしよに取りに来るよう命じた。しかし親は受け取りに行かず、翌日隆盛が飼育当番で弟を連れて学校に行つたところ、原告がいて通知表を隆盛に渡した。その際原告は、隆盛兄弟に対し「お前のお母さんはつまらん、お前の親は俺を馬鹿にしている。」と親を非難した。隆盛の母親は、七月一〇日、五の一の児童平田ゆきの家で父母約一九名の集りがあり、その席に原告を呼んで児童に対する行き過ぎた指導につき抗議した際、原告に対し「購読していない新聞の切り取りはできない(原告は五の一の全児童に、南日本新聞に掲載された「自分史」の記事を切り取つてくるよう命じていた)。」「朝の課外のサツカーを強制的にさせないでほしい。」「何でもないようなことで生徒を叩かないでほしい。」などの事項を原告に強く要望をしたことがあつた。
(三) 六月中旬頃、原告は五の一の全児童に対し、雨の日には長靴をはいてくるよう指示し、はいてこなかつた児童には、他の児童の長靴をはかせ、傘をささせて、校庭を一〇周走るよう命じ、実際には五周走らせた(長靴を持たない家庭では買わなければならなかつた。)。
その一方、原告は雨の日に赤の短パンツにTシヤツを着て、高下駄をはいて出校し、六月三〇日職員朝会の際校長に注意されている。
(四) 六月中、原告は五の一の教室の前方ドアの内側に「六月中花嫁募集賞金三〇万円」と書いた紙を貼つていた。
(五) 六月二日の学級裁量時間(一〇時三〇分~一二時)に原告は調理実習としてカレーライスを作り、同僚の新婚の奥さんに食べにくるよう児童を使いにやり、断られている。
(六) 原告は五の一の児童に対し、宿題をしてこなかつたり提出物を忘れたりすると強く叱つたり罰を与え(運動場を走らせる等)また早朝の課外サツカーを強要したり、先に述べた南日本新聞の切り抜きを持参することを、その新聞をとつていない家庭の児童にも強要するなどしたため、これらのことに適応できない児童は原告を恐れて学校を嫌がるようになり、六月二一日には児童大山美由紀が宿題ができなかつたため原告に叱られるのを恐れて登校せず、校長が原告を伴い大山方に赴き、一緒に登校させるという事件も生じた。
右のような事実は、(三)に述べた雨天時の長靴の強要と科罰などの事実と共に、児童が萎縮して学校嫌いになつていくのを憂える保護者や他の教諭から、校長に訴えられるようになつた。
4 協調性に欠け、上司に故なき反抗をするなど独善的言動が多いこと。
(一) 四月六日、赴任二日目の職員会議で、校長の学校経営方針及び教育目標の説明に対し「達成できそうもない教育目標を掲げて空念仏だ、きれいごとを並べているだけだ。」などと発言し、校長を驚かせた。
(二) 四月二五日、校長は阿久根警察署から「同月の交通取締中、原告の車を一時停止違反容疑で止めたところ、これを否認するのに警察官に罵詈雑言を浴びせ、また同月の交通安全旬間に原告に対し二回シートベルトの着用を促したが、装着せずに走り去つた。いずれも教師として考えられないような態度だつたので、機会があつたら注意してほしい」との電話を受けた。そこで同月二八日校長が原告を校長室に呼び右の電話の趣旨を告げ、事実を確かめようとしたところ、大声で「そんな質問には答えない。」「そんなことがあつたかどうか、あんたが事実を調べろ。」「勤務時間外にあんたの指導を受ける筋合はない。」と怒鳴り、校長の注意を全く受けいれなかつた。
(三) 平尾小学校では、三月に昭和五九年度の教育計画を作成し、この計画の中で標準学力検査を六月に実施することを定めているので、五月二九日、職員朝会で標準学力検査はどの会社のものを採用するかを審議していたところ、原告は「標準学力テストを信じるのはバカだ、体力テストなども水増しして報告している。」「天皇陛下を信じて戦争になつたではないか。」等と放言した。
更に、六月一六日までに提出するようになつていた右学力検査の実施結果を原告だけが提出しなかつたので、同月一八日から二九日までの間、校長及び教頭が延べ一一回にわたり提出方を指導したのに対し「どうしても出せというなら、文書による職務命令を出せ。」「校長の横暴だ。無能者振りを発揮している。」「文書で学力検査の計画書を出せ。」等と発言し、果ては「学力向上に名を藉りて、税金の無駄使いをしている事実を論文に書いて、町議会、県議会にあげ、徹底的に戦う。」「校長は無能者で、組合からつるし上げをくらつてコンプレツクスの固りだ。こんな校長をやめさせるために赴任したのだ。」と放言して指導に応じなかつたが、六月三〇日やつと提出した。
(四) 六月一五日、前記(2の(一)の(3))のとおり六校時に時間割変更でサツカーをした原告は、そのあとに課外のスポーツ少年団活動(社会教育の一環であるが、学校も協力してコーチには学校職員が当つている)が控えているのに、スポーツ少年団参加の児童に「サツカーをしたので、スポ少活動は疲れるからしなくてもよい、帰れ。」と指導した。そのため当日は五の一の児童だけがスポーツ少年団活動(男子ソフトボール、女子バレーボール)に参加しなかつたのであるが、丁度試合前で練習に余念がなかつたコーチの職員は、当日の練習に欠員を生じて迷惑すると共に、原告の独善的な行為を非難した。
(五) 七月三日の給食事件の際、教頭の指導を無視したことについては前記3の(一)記載のとおりである。
(六) 原告は四月に赴任したばかりでありながら、平尾小学校の教育は見せかけの教育であるとか、学校は水泳指導の目標として五年生は五〇〇メートル以上、六年生は一〇〇〇メートル以上泳げるようになることを掲げながら、水遊び程度の指導しかしていないとか、今の校長になつてから学校の指導力が低下し、水泳と同様学力及び徳育の面でも差がでてきているとか、殊更学校経営のあり方を誹謗した文書を作成し、八月二五日頃担任学級の父母に配布した。
(七) 原則として毎週一回(木曜日)行われる職員体育に、原告は一回出ただけで、あとは全く参加しなかつた。
また、原告は校務分掌では環境緑化の係でありながら、学校緑化活動(花壇作り等)に殆ど参加しなかつた。
5 PTA会長に暴行を加えたこと。
七月一〇日、前記3の(二)のとおり五の一の児童平田ゆきの家で父母の集りがあつた際、父母から原告に対し朝七時三〇分からのサツカーを児童に強制しないでほしいとの要望があり、原告は今後は強制しない、希望者だけにすると答えた経緯があるところ、PTA会長である濱嵜良光(五の一の児童濱嵜蘭子の父((以下「濱嵜」という。)))は、七月一八日午後一〇時一五分頃五の一の父母から「明朝七時三〇分に全員出校するよう坂元先生が子供に言つているが、どうにかならないか。」との電話を受けた。
濱嵜は娘に確認した上で、原告に電話して「学校の父母からも電話があつたし、娘も言うのですが、明朝はみんな七時三〇分に登校しなければならないのでしようか。」と聞くと、原告は「文句があるなら出て来い。」と乱暴な言葉で答えた。そこで濱嵜は心配する妻と共に原告の下宿先に出向いたところ、濱嵜の妻を見た原告は「お前はなにごとか、女のくせに。二人来るとは聞いていない。家宅侵入罪で訴えるぞ。」と怒鳴り、濱嵜があらためて明朝の子供達の登校のことを聞くと、原告は「誰から電話があつたか事実を述べよ。」と言いながら、濱嵜の胸ぐらを掴み土間に押し倒した。次いで同人を庭に引きずり出し、胸ぐらを掴んだまま前後左右にこづいたり引きずり廻したりする暴行を加え、同人に対し、加療約八日を要する左頸部左鎖部前胸部左上肢打撲傷の傷害を負わせた。
濱嵜は、シヤツもずたずたに裂け、妻に警察を呼べと言い、妻は警察に電話をかけるべく原告の家主方に走つたが、留守のため電話をかけることができなかつた。なお、濱嵜は当夜全く酒を飲んでいない。因みに、原告が濱嵜の娘蘭子に通知表を渡さなかつたのは、右事件の二日後の七月二〇日のことである。
以上、被告が原告を教職員として不適格と認めた五項目の理由について述べたが、これら多くの事実が新任の四月六日から八月末までの僅か五月足らずのうちに生じている。その間校長は極力指導に努めたが、効果に見るべきものはなく、原告の協調性のない独善的な性格と生徒指導及び学習指導における平衡感覚の欠如は、容易に矯正することができないものと判断され、教職員として正式採用することができなかつたのである。
四 抗弁に対する答弁
1 抗弁1の事実について
(一) 抗弁1の(一)の事実中、原告が被告主張の日時場所で、忘れ物をしたことを理由にみどりの尻の部分を二、三回軽く蹴つたこと、その後、みどりが教室を飛び出して一時行方不明になつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(二) 同(二)の事実中、校長がみどり方に行つたこと及びそこでの話の内容は不知、その余の事実は否認する。
2 抗弁2の事実について
(一) 抗弁2の(一)の(1)、(2)の各事実はいずれも否認し、(3)の事実中、六校時の家庭科の授業と四校時の図工の授業を入れ替えてくれるよう頼み、承諾を得たことは認めるが、その余の事実は否認し、(4)の事実中、当日の家庭科の授業が短時間(約二〇分間)しかできなかつたことは認めるが、その余の事実は否認し、(5)の事実は認め(このことは、学期末において各教科の進度を調整する必要から担任教諭としての裁量の範囲内で便宜やりくりしたものに過ぎず、他の担任教諭も皆適宜やつていることである。)、(6)、(7)、(8)の各事実はいずれも否認する。
(二) 抗弁2の(二)の(1)の事実中、出張研修を命ぜられ、これに約四〇分遅れたことは認めるが、その余の事実は否認し、(2)の事実中、出張研修を命じられ、八月二三日の講義中他に書きものをしていて講師に注意されたことは認め、その余の事実は否認する。
3 抗弁3の事実について
(一) 抗弁3の(一)の事実は否認する。
(二) 同(二)の事実中、蘭子と隆盛の両名に通知表を渡さなかったこと、蘭子については後刻教室で母親に渡したこと、隆盛については翌日原告が隆盛に渡したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(三) 同(三)の事実は認める(但し、原告が着用して出校したのは赤ではなく青の短パンである。)。
(四) 同(四)の事実は認める。
(五) 同(五)の事実中、学級裁量時間に調理実習としてカレーライスを作つたことは認めるが、その余の実事は否認する。
4 抗弁4の事実について
(一) 抗弁4の(一)の事実は否認する。
(二) 同(二)の事実中、校長が阿久根警察署から電話を受けたことは不知、校長が原告を校長室に呼び、警察から電話があつた旨告げたことは認めるが、その余は否認する。
(三) 同(三)の事実は否認する。
(四) 同(四)の事実は否認する。
(五) 同(五)の事実は否認する。
(六) 同(六)の事実は否認する。
(七) 同(七)の事実中、原告が学校緑化活動に殆ど参加しなかつたことは否認し、その余は認める。
5 抗弁5の事実は否認する。
第三証拠<省略>
理由
一 請求原因1、2の各事実は当事者間に争いがない。
二 地公法二二条一項は、地方公務員の採用につき、いわゆる条件付採用制度をとることを規定しているが、この制度の趣旨、目的は、職員の採用にあたつて行われる競争試験または選考の方法がなお職務を遂行する能力を完全に実証するとはいいがたいことに鑑み、試験または選考により一旦採用された職員の中に適格性を欠く者があるときには、その排除を容易にし、もつて職員の採用をその能力の実証に基づいて行うとの成績主義の原則(同法一五条)を貫徹しようとするにあると解される。したがつて、右職員の分限については、条件付採用期間の経過後に正式採用された職員の分限に関する規定の適用が排除され、その身分保障の程度に差異が設けられているのである。そして、条件付採用職員に対する具体的な分限事由については、地公法は同法二九条の二第二項において「条例で必要な事項を定めることができる。」と規定するにとどめているところ、鹿児島県ではその条例がいまだ制定されていないことは、被告らの主張に照らし明らかである。
ところで、国公法は、条件付採用期間中の職員の分限につき、必要事項の定めを人事院規則に委ねている(同法八一条二項)ところ、人事院規則一一―四(職員の身分保障)九条は、条件付採用期間中の職員の分限事由として、当該職員に国公法七八条四号に掲げる事由がある場合のほか、勤務実績の不良なこと、心身に故障があることその他の事実に基づいてその官職に引き続き任用しておくことが適当でないと認める場合には、何時でも降任させ、又は免職することができる旨規定している。一方、地公法二八条は、正式に採用された職員の分限に関し国公法七八条の定めと同様の事由をもつて分限事由としているが、このことから考えると、いまだ条例に分限事由についての定めのない自治体に属する条件付採用期間中の職員の分限については、前記人事院規則九条の規定に準じて判断するのが相当である。そして、前記条件付採用制度の趣旨、目的及び右人事院規則九条所定の分限事由が一定の評価を内容とするものであることを考えると、条件付採用期間中の職員に対する分限処分は、その分限事由の有無の判断につき、任命権者に相当広い裁量権が認められているものと解されるので、その判断が客観的に合理性をもつものとして許容される限度を越えた不当なものと認められる場合に限り、裁量権の行使を誤つた違法なものになると解するのが相当である。そして、右の理は、当該条件付採用期間中の職員がそれ以前に他の地方公共団体の職員として採用されていたことがあるか否かにより異なるところはないというべきである。
三 そこで、かかる見地に立つて本件処分の適否につき、その処分理由ごとに順次判断していくこととする。
1 「児童に過酷な体罰を加えた。」との点について
抗弁1の(一)、(二)の各事実中、原告が、七月九日午前九時五分頃、五の一の教室において、忘れ物をしたみどりに対し、体罰としてその尻を蹴つたこと、その後みどりが教室を飛び出して一時行方不明になつたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に証人林充夫、同佐土原瑞代、同竹下博恵、同諏訪文夫の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 原告は、七月九日午前九時五分頃、五の一の教室内において、担任児童のみどりが当日忘れ物をしたことを理由に、同児に対し、他の多くの児童の面前で、その頭部を手拳で殴打し、頭髪を引つぱるなどして、床に引きずり落とし、更に同児の尻付近を足蹴りにするなどしたうえ、「おまえのような者は五年一組にはいらない。出ていけ。」と言った。みどりは、原告から右のような体罰を受けた直後、大声で泣き叫びながら、教室を飛び出し、行方不明となつた。校長は、九時半頃、原告からみどりが行方不明になつた旨の報告を受けて驚き、原告その他の教員に対し手分けしてみどりを探すように指示した。そして、原告ほか多数の教員の学校内外での捜索の結果、約五時間後の午後二時頃、学校から約五〇〇メートル離れた光蓮寺内の旧保育園跡のブランコに乗つているみどりを原告が見つけ、同児を自宅に帰した。
(二) 同日午後五時半頃、右事実を知つたみどりの父諏訪文夫が学校に抗議をしにやつて来たところ、校長がひたすら謝罪につとめているのに原告は、いたずらに弁解をするばかりで、謝罪のことばを一言も申し述べず、自己の行為を反省している様子は窺えなかつた。また午後八時頃、今度は原告が諏訪文夫方を訪れたが、ここでも原告から謝罪の一言もなかつた。
(三) 校長は、これに先立つ六月二一日、校長室に原告を呼んで学級経営のあり方について種々注意を与えた際みどりのことに触れ、みどりがやや知恵遅れであつて、祖母に甘やかされたせいか若干わがままであるが、その指導については十分配慮するようにとの指導をしたばかりであった。
右認定事実によると、原告は、かねて校長からみどりが若干知恵遅れであることなどから、その指導について十分配慮するようにとの指導を受けておきながら、そのわずか半月後に、単に忘れ物をしたとの理由で、右のような負因を有する児童に対し、多数の児童の面前で右のような過剰な体罰を加えたものであつて、同児に与えた恐怖、精神的打撃の大きさはもとより、これを目撃した他の児童に対する影響を考えると、原告の右行為は、教育公務員として児童に対応する方法に著しい逸脱があつたものといわなければならない。のみならず、その後における校長やみどりの父親との応対においても、原告は、自己の非を反省することなく弁解に終始したことを考えれば、原告には他からの非離を謙虚に受けとめ、自己の資質を改善する姿勢が全く欠けていることが窺われる。
2 「教科経営に計画性がなく、出張研修に極めて熱意がない。」との点について
(一) 教科経営について
抗弁2の(一)の(3)の事実中、原告が佐土原教諭に六校時の家庭科の授業と四校時の図工の授業を入れ替えてくれるよう頼み、その承諾を得たこと、同(4)の事実中、当日の家庭科の授業が短時間しかできなかつたこと、同(5)の事実は、いずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、成立に争いのない甲第一号証の九、乙第一号証、証人林充夫、同柊元力、同佐土原瑞代の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
(1) 六月八日の五校時の授業は原告担当の体育(サツカー)であり、六校時のそれは佐土原教諭担当の家庭科であつたところ、五校時の体育終了後五の一の児童が家庭科室の佐土原教諭のところに来て、同教諭に対し、「六時間目の家庭科はしない。サツカーをもう一時間やる。」と言つたが、同教諭は、事前に原告からそのような話もなかつたので断つた。その後家庭科の授業を受けに五の一の児童が家庭科室に入つて来たとき、右児童らは同教諭に対し原告が「家庭科の時間は眠つてもよい。」と言つた旨述べた。
(2) 六月一四日朝、原告は、佐土原教諭に対し、標準学力テストをするので三校時の音楽の時間を使わせてほしい旨を頼んだが、同時間に笛のテストを予定していた同教諭に断られたので、「笛のテストは昼休みか放課後にすればいいではないか。」と言つた。
(3) 右同日の夕刻、原告は、佐土原教諭に対し、理由を告げずに翌同月一五日に六校時の家庭科の授業と四校時の図工の授業とを交換してもらいたいとの申出をし、その承諾を得た。ところで、同日は三校時と四校時とが図工の授業の予定であつたところ、図工の課題を大半の児童が三校時中に仕上げてしまつたため、昼休み時間中にまだ出来ていない児童に図工の課題をさせ、六校時に、五校時の体育の授業に引き続いてサツカーをさせた。
(4) 六月二二日、五校時の原告担当の体育の授業時間が終了したが、原告及び担任児童はプールから学校に戻らず、六校時にずれ込み、佐土原教諭担当の家庭科の授業が予定されていた六校時終了時刻の約一〇分前になつてようやく担任児童らが戻つてきたが、その際、佐土原教諭の待つていた家庭科室付近の廊下で原告が「家庭科もみんなでサボればこわくない。」と放言し、担任児童らがこれに唱和した。
(5) 七月一六日、原告は、三校時の授業(理科)を実施せず、算数を二時間続きで行つた(この事実は当事者間に争いがない。)。
(6) 翌一七日、一校時が算数、二校時が国語の時間割であつたところ、一校時に国語のテストをし、二校時に算教のテストの間違い直しをさせ、これが終わつた児童にサツカーをさせた。
(7) 更に翌一八日、五校時の国語の授業時間に書き方と書道の授業を行い、課題が終わつた児童にサツカーをさせ、六校時の教育相談は実施せずに体育(水泳)の指導をした。
(8) 六月一一日から始まる週の週報(甲第一号証の九)に示された学習計画には、体育については「体操と鉄棒」とされているところ、原告は、体操と鉄棒の課題をすませた児童にはサツカーをさせていた。
右認定事実によると、原告は、六月以降ほぼ毎週連続して佐土原教諭に対し授業の交換を依頼したり、自らの担当する授業の時間割もかなり頻繁に変更し、あるいは予定されていた授業内容を変更したことが認められる。確かに、小学校における授業は、学校教育法施行規則に基づく指導時数により作成される時間割表に従つて行われるのが原則であるけれども、各教科間の進度の調整等の必要から授業の交換や授業内容の変更を行うことは教師に認められた裁量権の範囲に属すると解される。しかしながら、前記認定事実から判断すると、原告の行つた授業の交換、授業内容の変更等は、教育目的に副つた適正なものとは到底いえず、専ら自己の好みや都合のみを考えたものであることが明らかであるから、右裁量権の範囲を著しく逸脱した行為というべく、これが同僚教師及び児童に与えた影響は軽視できないものといわなければならない。
(二) 出張研修について
抗弁2の(二)の(1)の事実中、原告が五月三一日の出張研修を命じられたところ、これに遅刻したこと、同(2)の事実中、原告が八月二二日から同月二四日までの出張研修を命じられ、八月二三日の講義中に他に書きものをしていて講師に注意されたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、成立に争いのない乙第一、第三号証、証人林充夫、同上園征彦の各証言を総合すると次の各事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
(1) 原告は、校務分掌上道徳の教科主任であつたところ、五月三一日に東出水小学校で行われた出水地区道徳教育研究会に出張研修を命ぜられたが、無断で約一時間遅刻した。右事実について、校長は出水教育事務所から連絡を受け、六月二二日原告に注意をしたが、その際原告は、遅刻の理由として「家主の自動車を借りて研修に行つたが、家主から銀行に寄つてくれと私用を頼まれたので約一時間遅れた。」旨弁解した。
(2) また原告は、教務関係の校務分掌上教育方法係の担当者として、視聴覚教材の活用を推進する立場にあつたところ、八月二二日から同月二四日まで阿久根市中央公民館で行われた出水地区視聴覚教育指導者研修会に、原告の強い希望もあつて、出張研修を命じられた。
八月二三日は上園征彦講師による「OHPについて」という講義が行われたが(「OHP」とは視聴覚教材の一種でT・Pという透明な用紙に特殊インクで文字、図柄等を書き入れたものを使用してこれをスクリーンに映し出すものである。)、午前中の講義中、研修とは無関係の「ライフワークを考える」という本を読んでおり、講義終了後T・P作成の実技演習の時間になつても、実技に必要な筆記用具や教材等を全く準備して来なかつたうえ、これらを講師から貸し与えられても、研修とは無関係の書きものをし、講師に注意されて、やつと簡単なT・Pを一枚作成しただけであつた。午後も引き続きT・P作成の実技演習が行われたが、原告は依然これに参加しようとせず、他の書きものをするなどしていた。そして実技演習の終了後感想発表の際、原告は、T・Pにつき、「自分は今までこういうのは使つたこともないし、これから使おうとも思わない。こんなに時間がかかるものだつたら個別指導でもやつた方がいい。」などと発言し、その終了後他の受講者等が後片付けをしているのに一人で帰つてしまった。研修に参加した他の教師らは、「あんな教員もいるんですね。」「あんな態度でよく一日研修できるものだ。」などと原告のことを評していた。
右認定事実によると、校務分掌上原告は、道徳の教科主任であり、かつ教育方法係(視聴覚教材関係を含む。)の立場にありながら、道徳教育関係の研修に私用で遅刻したうえ、視聴覚教育関係の研修には自己の希望で出席したにもかかわらず、当初から研修を受講する姿勢に欠けており、その受講態度が極めて不真面目であつたことが認められる。ところで、右のような各種研修は、学校教育に携わる教職員の資質向上を目的とするばかりでなく、当該研修を受けた教職員がその所属する学校教育の現場においてこれを生かすことによりその学校全体の教育水準を高めることをも目的とするものであるから、各種研修を命じられた教職員は、その職務の一環として当該研修を誠実に受ける義務を負うというべきである。しかるに右各研修に参加した際の原告の態度は、原告が一般的な社会常識に欠けることを示すばかりでなく、教職員としての自覚の欠如をも示すものといわなければならない。
3 「生徒指導、給食指導その他教育活動に非常識な言動が多い。」との点について
抗弁3の(二)の事実中、蘭子と隆盛の両名に通知表を渡さなかつたこと、蘭子については後刻教室で母親に渡したこと、隆盛については翌日原告が隆盛に渡したこと、同(三)の事実(但し、原告着用の短パンの色は除く。)、同(四)の事実、同(五)の事実中、学級裁量時間に調理実習としてカレーライスを作つたことは、いずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に前記甲第一号証の九、証人林充夫、同柊元力、同竹下博恵、同鶴長シズヨ、同濱嵜菊代の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 平尾小学校では、給食の準備は児童がそれぞれ各教室に備えつけてある白衣(給食衣)を着用してするものとされているところ、七月三日の給食時間、原告の担任である五の一の児童約六名が給食や食器等を白衣を着用せずに給食準準室に同クラスの給食を受け取りにきたので、その場に居合わせた給食係の竹下教諭は、白衣を着用してくるよう指示して同児らを教室に帰した。ところが、同児らが再びこれを着用せずに戻つて来たので、同教諭がその理由を聞くと、同児らは原告が白衣の着用をしなくてもよい旨言つたと返答した。そこで、同教諭は養護教諭の前原教諭と連れだつて五の一の教室に行き、原告に対し白衣を着用させない理由を聞いたところ、原告は「自分の学級はセルフサービスにしているので、全員が白衣を着なければならないが、白衣が足りないではないか。衛生的にもたいして意味がない。白衣を着なければ食べられないということであれば食べさせない。」などと反論した。そのため、竹下教諭は、教頭の許に赴き、事情の説明をしたところ、教頭は、直ちに右教室に赴いて原告を説得したが、原告から「白衣を着ればなぜ衛生的なのか証拠を示せ。」などと反論され、らちがあかなかつた。教頭は、一旦職員室に戻り、外出中の校長に電話連絡してその指示を仰ぎ、再び五の一の教室に戻り、直接児童に対し白衣の着用を命じて給食の準備をするよう指示すると、原告から「ここは自分の権限の範囲内だから勝手なことをするな。」と喰つてかかられた。また、教頭が子どもの健康のこともあるから、とにかく食べさせるように説得しても、原告は「一食ぐらい食べなくても死にません。」「竹下が謝りにこないと給食の準備はさせない。」などと述べてこれに応じなかつた。なお、その間原告は、食堂を経営している家の児童を通じてチヤンポンを学級の人数分注文したが断られた。
その後前原教諭の指示で六年生の児童が給食を五の一の教室の近くに運び、午後一時過ぎになつて、ようやく給食をとらせることができた(給食の時間は午後零時四五分まで)。一方、原告は、学校近くの食堂から自分で出前箱を職員室に運び、業間体育の始まつた午後一時半過ぎ、一人でうどんを食べた。
(二) 原告は、六月一〇日前後頃から五の一の児童に対し、毎朝七時三〇分に登校を命じてサツカーをさせたり、雨の日には長靴をはいてくるよう指示し、これに従わなかつた児童に対し、罰として、他の児童の長靴をはかせたうえ傘をささせて校庭を一〇周走るよう命じた(但し、実際に走らせたのは五周)。これら原告の行き過ぎた指導に疑問を抱いた父兄約二〇名が、七月一〇日夜五の一の児童平田ゆきの父兄宅に集まり、原告を呼んでこれを改めるよう申し入れ、原告の了承を得たが、その際中心になって発言したのは、濱嵜菊代と鶴長シズヨであつた。
ところで、同月二〇日の終業式の際、原告は、担任児童のうち右濱嵜菊代の子蘭子と鶴長シズヨの子隆盛の両名に対し、通知表を受け取る際に頭を下げなかつたとして、これを渡さず、後で父兄と一緒に取りに来るよう指示した。
このうち蘭子の母菊代は同児を伴つて、昼過ぎに学校に赴いたが、同児から、「自分としては頭を下げたと思うし、周りの児童も頭を下げたと言つてくれた。」などと聞いていたため、原告と蘭子が頭を下げた、下げないで押問答になつた。菊代が席を立つと、原告は、「まだ聞きたいことがあるから座れ。」と述べ、後記5の事件について触れ、「お前たちが電話を遅く掛けたりするから子どももそういうふうに挨拶をしなかつたりするんだ。」などと不満を述べた挙句、通知表を直接蘭子に渡した。なお、後記5の事件が起きたのは、その二日前の同月一八日夜であつた。
また、隆盛については、うつかり頭を下げ忘れたものであつて、原告に指摘されてあわてて頭を下げなおしたが、その際、原告から「親が何のかの言うのに限つて子どもは頭の下げ方も知らん。」「お前のおかあさんは俺を馬鹿にしてなんだ。」などと言われた。隆盛の父母は通知表を取りに行かなかつたところ、翌二一日、飼育当番で登校した隆盛に対し、原告は通知表を渡しながら「お前の家のおかあさんは悪かね。」などと言つた。
(三) 原告は、六月中、五の一の教室の前方ドアの内側に「六月中花嫁募集賞金三〇万円」と書いた紙を貼つていた。
(四) 原告は、六月二日の学級裁量時間(午前一〇時三〇分から一一時)に児童とともに調理実習としてカレーライスを作つたが、同僚教員の新婚の奥さんに食べにくるよう児童に使いにやり、これを断わられた。
(五) 六月二一日午前一〇時頃、校長は、五の一の大山美由紀の父から、同児が自宅玄関口にかばんを置いたままで姿が見えない旨の電話連絡を受けたため、原告に確認して同児が登校していないことを確かめたうえ、原告を伴つて同児宅に赴き、付近を探した結果、同児が別宅の祖父の部屋で寝ているのを発見した。その際、校長が同児に学校を休んだ理由を聞くと、「宿題を忘れたので原告から叱られるから」などと答えた。
このほか、五の一の児童の中には、原告の厳しい指導を怖れて学校嫌いになるものが増え、その父兄から校長に対し、原告の指導方針についての苦情が持ち込まれるようになつた。
右認定事実、とりわけ(一)で認定した原告の給食指導のあり方が秩序を乱す不合理なものであることは明らかであり、これを糺そうとした給食係の教諭や教頭の注意、指導にもかかわらず、理屈にならない理屈で応対し、これを全く受け付けず、その結果、クラスの児童の給食時間を遅延させたことを考慮すれば、原告には著しい独善性、非常識ないし平衡感覚の欠如があることが明らかである。
また、(二)で認定した蘭子と隆盛の両名に通知表を渡さなかつた件についても、表向きの理由としても合理的とはいえないような理由、すなわち右両名が通知表を受け取る際にお辞儀をしなかつたことをその理由としているが、その後の原告の言動等からすると、右のような理由からではなく、その一〇日前、蘭子や隆盛の母から原告の指導方針について苦情を言われたことや、その二日前の濱嵜に対する暴行事件を根に持つてなされたと推認することができ、いわば親に対する不満をその子どもに仕返しするが如き措置をとつたものと評価せざるを得ない。
その他(五)で認定した担任児童の一部に恐怖感を与える指導方法をとつてきたことや、(三)、(四)で認定した各事実を総合すると、原告の教師としての指導方法は、その教育的観点からみて疑念を生じさせるものであるばかりでなく、著しく独善的で平衡感覚を欠くものと評価せざるを得ない。
4 「協調性に欠け、上司に故なき反抗をするなど独善的言動が多い」との点について
抗弁4の(二)の事実中、校長が阿久根警察署から受けた電話の内容を、原告を校長室に呼んで告げたこと、同(七)の事実(原告が学校緑化活動に殆んど参加しなかつたとの点を除く。)は、いずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に成立に争いのない甲第三号証の三、乙第一、二号証、証人林充夫、同柊元力の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 原告が平尾小学校に赴任して二日目の四月六日の職員会議において、校長から昭和五九年度の同校の教育計画についての説明があつたが、原告は、このうち学年別の具体的教育目標として水泳を五年生では五〇〇メートル、六年生では一〇〇〇メートル泳げるようになる、とされている点を捉え、「達成できそうもない目標を掲げている。空念仏だ。」などと述べ、また「めざす児童像、学校像、教師像」の箇所について「きれい事を並べているだけだ。」などと発言した。
(二) 四月二五日、校長は阿久根警察署から「交通安全旬間中、原告にシートベルトを装着するよう二度にわたつて注意をしたが、いずれもこれを無視して装着せずに走り去つた。また、原告の車を一時不停止容疑で停めたところ、原告は、これを否認するのに警察官に対して『ポリ公』『税金泥棒』などと罵詈雑言を浴びせかけた。教育公務員としてこういう言動はいかがかと思うので、いずれ機会を見て注意してほしい。」旨の電話連絡を受けた。そこで、同月二八日土曜日の放課後、校長は原告を呼んでまず事実確認をしたところ、「そういう質問には答えられない。事実の確認はあんたがせよ。」「調べられないのなら管理者として無能の証拠だ。」「勤務時間外にあんたの指導など受ける必要はない。」などと発言して校長の注意を受けいれようとしなかつた。
(三) 平尾小学校の昭和五九年度教育計画では六月に標準学力検査を実施する旨定めていたので、五月二九日、職員朝会で標準学力検査はどの会社のものを採用するかについて審議していたところ、その際原告は、「標準学力テストなど信じるのはバカだ。」「体力テストなども水増しして報告している。」「天皇陛下を信じて戦争になつたではないか。」などと発言した。ところで、他の教師からは標準学力検査の実施について異論も出されず、同学力検査を六月一二日から同月一六日までの間に実施し、同日までにテストの結果を提出することとされたが、原告は提出期限が経過してもこれを提出せず、校長や教頭から一〇数回にわたつて提出を促されたが「出せというなら文書による職務命令を出せ。」「計画書を出せ。計画書を出せないのは管理者として無能力だ。」「学力テストに名を藉りて税金の無駄使いをしている。」「実態を論文に書いて町議会や県議会に出して問題にする。」「こういう無能力な校長をやめさせるために平尾小に赴任して来たのだ。」などと述べて、これに抵抗したが、同月三〇日漸く提出した。なお、他の教員は、遅くとも同月一八日までには提出を完了した。
(四) 前記2の(一)の(3)記載のとおり、原告が五校時と六校時の二時間続けてサツカーをさせた六月一五日、その後に課外のスポーツ少年団活動が予定されていたのに、六校時終了後、原告は、五の一の児童に対し、「サツカーをしたので、スポ少活動は疲れるからしなくてもよい。帰れ。」と指示した。そのため、当日は五の一の児童だけがスポーツ少年団活動に参加しなかつたところ、直後に試合を控えて練習に余念がなかつたコーチの教職員は、当日の練習に欠員を生じて迷惑を被り、原告の勝手な行動に腹を立てていた。
(五) 七月三日の給食時間、教頭の指導に従わずに児童に給食をとらせなかつた(前記3の(一)記載のとおり)。
(六) 原告は、八月二五日頃、五の一の学級PTA資料として、学校は水泳指導の目標として五年生は五〇〇メートル以上、六年生は一〇〇〇メートル以上泳げるようになることを掲げながら、具体的な指導の計画も作らず、水遊び程度の指導しかしていないとか、今の校長になつてから学校の指導力が低下したとか、水泳と同様徳育の面でも他校と差がでてきているとか、今の平尾小学校の教育は教育委員会向けの見せかけの教育があるだけで、実際には、ただやればよしとの形式的な教育が行われているとか記載した文書(甲第三号証の三)を作成し、これを担任児童の父母に配布した。
(七) 原則として毎週一回行われる職員体育に、原告は一回出ただけで、あとは全く参加しなかつた。
また、原告は、校務分掌上環境緑化係であつたが、その活動内容である学校緑化活動に殆んど参加しなかつた。
右認定事実中、(一)及び(六)の各事実については、原告の発言ないし文書の記載内容自体を捉えれば、原告が平尾小学校における教育計画ないし目標に対する独自の批判を行つたと解される余地もないではなく、また、(二)の事実についても、注意を受けた内容自体は職務外の事柄であるうえ、右注意も勤務時間外になされたものであることを考慮すると、これらの事実のみをもつて、原告が協調性に欠け、上司に故なき反抗をするなど独善的であると決めつけることは、いささか早計に過ぎるが、右(一)、(二)の事実中の原告の発言内容及びその態度をみると、原告が教師としてばかりでなく、一般社会人としての常識や礼儀をも備えていないことが窺われ、これと(三)ないし(五)、(七)の各事実を総合勘案すると、原告は、学校教育を秩序正しく行うために必要な協調性や上司の適切な指導に従う姿勢に著しく欠けているものと認められる。
5 「PTA会長に暴行を加えた。」との点について
成立に争いのない乙第四号証の二〇、二三ないし二五、三〇ないし三五(同号証の二五、三四及び三五については各一部)、証人鶴長シズヨ、同濱嵜菊代の各証言を総合すると次の各事実が認められ、乙第四号証の二五、三四及び三五のうち右認定に副わない部分は容易に信用できず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 七月一〇日、五の一の父兄が平田ゆきの父兄宅に集まつて原告を呼び、原告に対し早朝サツカーを児童に強制しないでほしい旨の要望をし、その承諾を得たことは、前記3の(二)で認定したとおりであるが、蘭子の父でPTA会長でもある濱嵜は、同月一八日午後九時半頃、五の一の父兄から、「早朝サッカーの件については先日話合いがあつたが、原告が明朝七時半からサツカーをするので全員出校するようにと子どもたちに指示しているそうだ。お宅の子どもにも聞いてみてほしい。また原告にも確認してみてほしい。」との電話を受けた。
(二) そこで、濱嵜は、同日午後一〇時過ぎ原告方に架電し、右の点について確認したところ、原告からは右の点についての回答がなく、いきなり「貴様、文句があるなら出て来い。」と大声で怒鳴られた。濱嵜は、原告に対し更に右の点を確認するため、妻を伴つて原告方に赴いたところ、妻の姿を見た原告は、「お前は何事か。女は来んでよか。出て行け。出ないと家宅侵入罪で訴えるぞ。」などと怒鳴つた。濱嵜が原告に対し、同人方居室で「サツカーのことでちよつとお聞きしたいんですけど。」と話を切り出したところ、原告は、紙を取り出し、「誰から電話があつたか事実を言え。」などと興奮した様子で言い、これを拒否する濱嵜と押し問答となつた。
(三) 濱嵜は、原告のこのような興奮した様子からまともに話ができる状態ではないと考え、「もう先生、帰りますから。」と言つて席を立ちかけたところ、原告は、やにわに濱嵜の方にかけ寄り、その胸倉をつかんで土間の方に押し、同人を玄関のサツシ戸に打ちつけた。更に、原告は、「誰が言うたか、事実を言え。」などと申し向けながら、終始無抵抗の濱嵜の胸倉をつかんで胸をこずいたり引つ張ったりして屋外に押し出し、庭先をぐるぐる回つた。原告による右暴行の結果濱嵜は、加療五日間を要する左頸部、左鎖骨部、前胸部、左上肢の各打撲症の傷害を負つたほか、その時着用していたシヤツがずたずたに裂けた。
(四) 原告は、右事実による傷害容疑で検挙され、昭和六一年一月三一日鹿児島地方裁判所で罰金八万円に処する旨の有罪判決を受けた。
右認定事実によると、原告は、一旦、父兄の前で中止を約束した早朝サツカー再開の件で確認に来たPTA会長の濱嵜に対し、なんらの説明もなく、終始高圧的な態度を取つた挙句、全く無抵抗の同人に対し、執拗にその胸倉を押したり引つ張つたりして前記傷害を負わせたうえ、着衣を損傷したものであつて、原告の右行為は、一般社会人としても到底許容されるものではないことが明らかであり、教師としての適格性を疑わせるに足りるものである。
四 以上認定、判断したところを総合して本件処分の適否について判断するに、原告は、教育に関する独自の信念をもつて、職務を遂行してきたと認められるが、既に詳細に判示したとおり、原告が平尾小学校に赴任して以来、原告の同小学校における教育方法は、みどりに対する体罰、給食指導のあり方等に見られるように、甚だ教育的配慮を欠いた独善的かつ非常識な点が多く見られ、これが原告の赴任後八月末までのわずか五か月足らずのうちに集中的に現われていること、そして右のような原告の教育方法に対したび重なる校長、教頭からの指導が加えられたにもかかわらず、故なく反抗してこれを改めようとせず、教育秩序を保つために必要な協調性に著しく欠ける態度を取り続けたことなどの諸点を考慮すると、原告の教師としての勤務実績はきわめて不良というほかなく、条件付採用期間中の原告を教職員として引き続き任用しておくことが適当でないとの被告の判断は、相当であると認められる。従つて、被告が原告をその条件付採用期間中である九月三〇日付をもつて免職するとの本件処分に何ら裁量権を逸脱した違法はないというべきである。
五 よつて、本件処分の取消を求める原告の請求は、理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 下村浩藏 法常格 田中俊次)